こんにちは。ペコミナです(⌒∇⌒)
私、「決める」ということが少し苦手です。
…でも苦手っていうと少し違うかもしれません。
人の意見やアドバイスをそのまま採用してしまって、
自分で決めてない気がするのです。
人は平均で1日に35,000回の決断をする
Sahakian, B.J & Labuzetta, J. N., 2013
毎日35,000回って…
分かっていたけど、
人生って本当に決断だらけですよね。
- どの学校に進学するのか、
- どこの会社に就職するか、
- 結婚をするのか、しないのか、
- いつまでこの仕事を続けるのか、
- 子どもはどうするのか、
- 復職はどのタイミングにするのか、
- どこに住むのか、
- 家は買うのか、
- なんてよくある大きな決断はもちろん、
- 今日は何を着るのか、
- ごはんは何を作ろうか、
- どの本を読もうか、
- 子どもが生まれてからは、
- どこの保育所に入れるのか、
- 子どもにはどの服を着せるのか、
- この体調は保育園を休ませるべきか、
- 病院に行くべきか、家で様子をみるべきか、
- 家庭での知育は何をするか、
- お受験をするか…
よーくよく細かいところまで考えると、
毎日は「決める」の連続なんですよね。
特に、子どもが生まれてからというもの、
自分のこと以外にも何かを決めるってことが激増しました。
”決断疲れ”なんて言葉の聞きますが、
「ほんと、それ!めんどくさ!誰かうまいことやっといてー!」
…共感して頂ける方も多いのではないでしょうか。
日々の何食べる?みたいな決断はまあよいとして、
生活が変わるような大きな決断をするときに、
後悔してションボリないために、私が意識していること。
それは、
「アドバイス」と「決断」の分離。
できる人には当たり前なのでしょうが、
最初に言った通り、私は流されやすいのです。
なので、敢えて紙に書いたり可視化して区別しています。
そうしないと、自分が考えたのか、
それとも人の意見をそのまま自分に上書きしたのか分からなくなってしまうので。
「アドバイス」とは、他者からのもの。
○○したらいいよ~、とか、
××しなかったら~になるよ、とか、
△△っていうのは当然こうあるべきだよ、とか。
これはあくまで決断の「材料」。
なので、いろんな意見(その時は納得できなくても)を素直に受け入れます。
でも、自分にとって近しい人や、
社会的に影響力の大きい人の意見って
その人たちの「アドバイス」=「自分の考え」
という構造になりがちなんですよね。
そこを食い止める!
これは「材料」、これは「材料」って頭の中でつぶやく!!
どの意見もフラットに俯瞰して、
アドバイスしてくれた人の影響力バイアスを取っ払って考えると、
自分の状況や気持ちに最適な答えを見つけやすくなります。
それを私は自分の「決断」としています。
余談ですが、
『自己決定感が強いとき、人は失敗を成功の糧に変えられる』
松本健二氏 玉川大学脳科学研究所
ちゃんと自分で決めた、自分で考えたっていう気持ちは
その「決断」がうまくいっても、いかなくても、
ポジティブに受け止められることが多いものですが、
ちゃんとそういう研究結果も出ているようですね。
失敗してもめげずに前に進める人っていうのは
始まりから終わりまで、ちゃんと自分で決めているからですね。
このお話が、何かの参考になると幸いです。
それでは、また。
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